趣味と物欲

博多天神界隈を本と文房具(万年筆とインク)と電子ガジェットを探して徘徊しています。

フォントはホントに一書体だったかもしれないのか。

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タイトルの「ホントに」のところは「フォントに」と書きたいところだけど、さすがにきっつい駄洒落かな、と思ったので普通に書いて見ました。
ちょっと前に話題になっていた、ジョブスの大学卒業祝賀スピーチの中に、
http://pla-net.org/blog/archives/2005/07/post_87.html

もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

という件があって、いくらジョブスでもさすがに言い過ぎやろと思っていたのですが、11月2日の古川 享 ブログによると、
http://spaces.msn.com/members/furukawablog/Blog/cns!1pmWgsL289nm7Shn7cS0jHzA!2203.entry

昔、OSの環境下で複数のフォント(書体とサイズ)が扱えるようになるべきだと主張する私に、「そんなもの要らない、何故コンピュータに2種類以上のフォントが必要なんだ? 文字と数字が読めればそれで十分..」という論点でメチャクチャにぶつかりあいもしました。

という話があって、あながち無いことでもなかったんだなと思いました。結果として、多種類のフォントが搭載されるようになり、表現の幅も広がって良かったんだろうと思うのですが、当時のビルゲイツの割り切った考え方も合理的で嫌いではないです。フォントの話とはちょっとずれますが、紙の書類を再現するためにコンピュータ上で苦労するたび、コンピュータに都合のいいように書式を変えるべきだと思うのです。