趣味と物欲

博多天神界隈を本と文房具(万年筆とインク)と電子ガジェットを探して徘徊しています。

ポメラで萬年筆と打ってみる その2。

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図書館で借りて来た萬年筆の印象と図解カタログから、また一編入力してみた。2413文字、前回入力した萬年筆の過去、現在及び未来の一部よりも短いが、SIIの電子辞書と新潮日本語漢字辞典を首っ引きで旧字を確認しながら入力したので時間はかかった。旧字は極力新字に代えたが、送り仮名は元の文章にあわせている。また、オノトオやウオタアマンの様なカタカナ表記は味があると思ったのでそのままにした。
二編を入力してpomeraのキーボードにも随分慣れた。PDAや小さいPCが好きなので否応無く色々な大きさ、色々な配列のキーボードを使って来たが、その過程で感じているのは、人間の適応力の高さだ、日頃から使っていればそのうち慣れてしまうし、何種類か併用して使っていてもキーボードにあわせて自然と感覚を切り換えていることに驚く。どうにも筋が悪く、慣れぬというより慣れたくもないキーボードも無いではないが、大抵のキーボードは大丈夫だという自信はある。

萬年筆の印象と図解カタログ 丸善株式会社
萬年筆の経験 馬場孤蝶
或る日の午前、魯庵君が来て、僕の本棚に浅草公園の大瀧から買って来た土人形を列べてあるのを見て、ガラに無い事をすると笑った。
いつぞやも或人が、僕の家の床の間に掛軸一つ無しに塵だらけの古本ばかりをしだら無く積んであるのを見て、ニヒリストの特徴だと云って笑ったことがあった。其のニヒリスト先生が玩具をならべて喜んで居るのだから、魯庵君ならざるも些か意外に思う人があるかも知れぬが、孤蝶先生実は夫れほどのニヒリストではござらぬ。随分過去の世の感化に囚われて居る人間であって、時々はこんなオモチャを買って来ては列べて見る。唯先生頗る無精であって、何事に対しても努めるということの出来兼ねる性分だから、手に入れるのに骨の折れるような物は何一つ買ったことは無い。何時でも行けば何時でも買えるというような有り触れた物を買って来ては列べて見て、先生独り欣然として悦に入っているのだ。
萬年筆を買ったのも実は玩具を買うような気分からであった。エボナイトの軸の黒々した艶やかな色に対照して金のペン尖の愈々光って見えるのが堪らなく気持ちが好かった。其上にすらすらと紙の上を滑る快さが何とも例えようもなく嬉しかった。初めてオノトオの無飾(プレイン)のやつを買ったのは、たしか四十二年の春だと思うが、その当座は、萬年筆を手にするのが嬉しくて、随分いろんなことを書き散らしたもんだ。
が、それほどファンシィにまかせて買ったのなら、インキを工夫するとか、種類の違ったのをせめて五六本も揃えてみる気になりそうなものだが、そうなると、骨が折れる。生得の無精者には出来兼ねる。値段のお手軽な所を二三本買って見たばかりで満足して、其以上の欲望は募ら無かった。無論、二三本あれば十分足りてる。此以上深入りして下らぬ詮議をする必要は無い、と云って了えば済むが、実をいうと、何よりも彼よりも木地の俗物根性が七面倒臭いという最後の決着を付けて了うのだというのが一番明晰な一番直截な解釈であろう。
が、自分の性分として何事にも深入りすることは出来ないにしろ、萬年筆の経験は唯ッた二三本にもせよ、自分は自分の本位からして萬年筆の経験を少しく語って聞かせよう。
僕の使ったのは、オノトオとゼニスとウオタアマンとインデペンデントの四種に過ぎ無いのだが、僕自身にはオノトオが一番使い宜いように思われる。細字を書く積りでは無かったので、オノトオのミヂアムのペン尖のなる可く柔らかなのをと撰んで買ったのであったが、これが、僕には都合がよかった。原稿屋なる僕には余り細字を書く必要は無いので、ペン尖の細いものを使うと、急いで書く場合に、字がへんに崩れて了まってイヤな形になる。けれども、ペン尖の中位な太さのものになると、其の様な虞(おそれ)は一つも無い。ウオタアマン其他の種類のものには、オノトオのようなペン尖の柔らかさを持ったものがあるか何うか知らぬが、僕の知っている所だけは、オノトオのミヂアムが一番ペンが柔軟であるような気がする。少くとも、僕の持っている萬年筆のなかでは、オノトオのペンが一番柔軟なのだ。尤も之は人々の好みにも由るが、僕のような日本字ばかり書くものには、そのペン尖の柔軟なのが、ひどく気持が好いのだ。
オノトオは時々プランジャァを取りかえる手数があるけれども、僕はプランジャァを当てにせずに、並の萬年筆のように、フィラアを使ってインキを入れることにしている。それで一向差しつかえは無い。云うまでも無く、オノトオにはインキ留の仕掛けがある。夏向などはこれが大へんに工合の好いものだ。インキが湧て外へ沁み出る虞が無い。但し、一長一短は、何者にも免がれ難いもので、オノトオは、インキの沁み出さない代りにペン尖が乾いて、しばらく使わずにいた後では、少し手強くインキを振り出さぬと、直ぐには字の書け無いことがある。併しこの不便は他の長処に比すれば何でも無いことなのだ。
オリオンは使ったことが無いが、殆どオノトオと同様の長処を持って居るように聞いている。
装飾付きのものを欲する人は、一番種類に富んでいるウオタアマンのなかから撰んだから宜かろう、インキの出方はオノトオより好いように思われるが、其代りにインキ留の装置が無いので、オノトオに比べるとインキが溢れ易い。尤もインキが軸部に充実して空気の進入する間隙が無い場合は決してそんな虞は無いが、軸部のインキの量が著るしく減ると、ポタリと落ちる。之は欠点だ。勿論必ず左うと極っている訳では無い。
ゼニスは、何にしろペンが小さいので軸内のインキが少しく減る場合、ウオタアマンに比べると、インキの流出が一層激しく、細かい文字は直きに書け無くなる。が、値段が値段だから拠所ないと我慢せずばなるまい。
萬年筆へ赤インキを入れて、印刷物の校正に用いるのは頗る便利である。説明するまでも無く、誰でも合点することと思う。
最後に臨んで、これから萬年筆を使おうという人々に注意し度いことは、若しその人が一日に沢山字を書く職業の人であったなら、成るべく筆の重量の軽いのを撰ぶことと、下等なインキを決して用いぬ事と、此の二つである。間断なしに筆を持つ人は些かの目方の相違でも直ぐ手指の疲労に影響するゆえ、目方の軽いのを択ぶのが賢い仕方である。又下等なインキを注入すると忽ち渣滓が溜ってインキの流出を妨げる。折角萬年筆のペンが滑らかに走ってもインキが出なくなって了う。夫故ウオタアマンには、ウオタアマンのインキがあり、オノトオにはオノトオのインキがあって各々其性質に適するように出来ている。尤も日本では時々品が切れる事もあるから左うお誂え通りのインキを常に使用するわけには行かぬ場合もあるが、兎にかくインキを択ぶ必要がある。和製の下等インキを無暗と使用するは萬年筆の効力を鈍くする。インキの選択は萬年筆使用者の第一条件である。

万年筆の印象と図解カタログ

万年筆の印象と図解カタログ

馬場孤蝶の「万年筆の経験」は当時売れていたオノト、ウォーターマン、ゼニスの長短所をあわせて紹介し、さらに初心者向け万年筆の選び方(軽いのが良い、インクはまともなものを使え)なんかも書かれた親切設計。

私は電脳万年筆で万年筆について打っていたのか^^

ものを書くには儀式が欠かせない。文具で言えば好きなペンを選ぶこと。そのペンをノックすること。お気に入りのノートを開くこと。そのステップが意外と大切なのだ。万年筆を使っている人ならその感覚は実感しているだろう。キャップをあけ、ペンを走らせその感触を楽しみながら自分の頭の中の思いを文字に変換していく。ポメラにはこの儀式がある。液晶を開き、キーボードをスライドさせ電源を入れる。真っ白(もしくは真っ黒)な画面にカーソルキーだけが点滅している。

私のもホワイトモデル、ホワイトボードマーカーを常備するか。

そして、もう1つは、ホワイトモデルを選択したこととも関係するのだが、インタビューなどでテキスト以外にどうしてもスケッチや図を描いて記録しておきたい場合がある。ポケットには、そういう時のためのマーカーも挿してある。
ただし、マーカーはマーカーでもホワイトボード用のイレイサー付きマーカーで、キャンバスはPOMERAの白い天板だ。

そうなんですよね〜、というわけで両方持ち歩いていますが、結局パイロットのキャップレス万年筆で、ロディアNo.11にメモしていたりする。

ノートPCとポメラを一緒に持ち歩いていたりしたら馬鹿だよなあ。けどポメラだけじゃ辛いんだよなあ。