情報カードを使うにあたり、原点とも言える「知的生産の技術」を読んでいる。
梅棹忠夫氏は高等学校の時に、レオナルド・ダ・ヴィンチの手帳の話を、「神々の復活」という小説で読み、手帳を付ける習慣を身につけたそうである。その後、モンゴルの調査の際には野帳を使われていたそうだが、日本に帰国後、野帳の内容を転記し整理される時に、カードを使用しはじめられている。梅棹氏は1946年 (昭和21年) に日本に帰国されているので、そのあたりがカードを使いはじめられた時期らしい。
一方、「知的生産の技術」には、カード利用のもう一つの系譜として、桑原武夫氏の「ルソー研究」が紹介されている。「知的生産の技術」に、カード利用の熱心な実行者として鶴見俊輔氏が紹介されているが、「[情報カード]の仕事術」に登場する多田道太郎氏によると、昭和24年に京大の人文科学研究所に入ったとき、カードを渡され、先輩の鶴見俊輔氏から使い方を習ったそうである。ちなみに、そのカードは、B6サイズの所謂、京大式カードと同サイズのものだったそうだが、「ルソー研究」がまとまって以降、どこに行ったか分からないそうである。
いずれにせよ、情報カードの利用は戦後早々に始まっていたようだ。その後、1969年に「知的生産の技術」が発行されることになる。ちなみに、「知的生産の技術」には、梅棹氏と同じく「神々の復活」に影響を受けた友人として、KJ法の川喜田二郎氏の名前が出てくるが、川喜田氏の「発想法」が発行されたのが1967年、1969年の「知的生産の技術」を挟んで、1970年に「続・発想法」が発行されている。「続・発想法」の後書きには、野外調査後、KJ法前のデータの取扱いに関する傑作の著として「知的生産の技術」が紹介されている。
久し振りにこの記事が読まれていたので、AIタイトルアシストでタイトルを変更してみました。旧題「知的生産の技術にはじまり、情報カード関連の本を読む。」